「延喜式」とは平安初期以来、宮中における
年中行事や制度などを集大成した事務規定である。
むつかしく書いてありますが、少々乱暴に解釈すると、
宮中の規律・規範をまとめて書かれたもの。
醍醐天皇の時代に編纂されたということなので、
718年ごろ。その「延喜式」にでてくるのです。
「鮒寿司」という文字が。
平安時代には醍醐天皇のような高貴な身分の者が、
しかも特別な行事のときだけ食べていた「鮒寿司」。
古来より栄養素の高い食品として珍重されていました。
さて、この「鮒寿司」にまつわる有名人といえば、
今注目の明智光秀。
織田信長が安土城に徳川家康を招く際の
接待役・饗応役として選ばれたのが光秀。
光秀は家康一行安土到着の5/15から5/17までの
3日間、食事のもてなしをするよう命じられていました。
生真面目な光秀は誠心誠意込めて
もてなしのための献立選びをしたようで、
約60品が記された「天正10年安土御献立」として
いまもその記録が残っています。
「鮒寿司」が供されたのは記録によると家康到着の日。
到着したすぐの昼のメニューに載っています。
旅を終えた家康一向にまずは疲れを癒してもらおうと
精の付く食材を多く使っているように思えます。
「鮒寿司」は当時から食べると力が沸く食材として
近江では貴重な一品でした。
しかし、光秀は最終日5/17の接待役をおろされてしまいます。
光秀のおもてなしの想いが信長の望んだことと
違ったのか・・真偽のほどはわかりません。
ただ、光秀は「鮒寿司」を近江を代表する料理で
あると自信を持っていたと思うのです。
古来より大事な時に出す料理だと知っていたのだと思います。
だからこそ、家康到着の一番最初に出すメニューに
選んだのではないかと。
光秀が愛した「鮒寿司」は長い時を経て
現代にまで脈々と受け継がれています。
近江を訪れた武将達も食したであろう「鮒寿司」。
戦国絵巻を感じながら召し上がっていただくのも
また、オツなものです。
by増茂紀子
2020-04-07 12:37:11
鮒寿司 通信
| コメント(0)