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鮒寿司 通信 No.23

鮒寿司 通信 No.23

 
「光秀ロス」です。
 
異例の年越し大河が
とうとう激烈な最終回を迎えてしまいました。
 
歴史を大きく動かしたと言われる「本能寺の変」。
 
光秀の心のありようをとても丁寧に
紡いできた1年だったからこそ、
胸のつまる思いで全集中して見ておりました。
 
ドラマ関係者の皆様の熱い想いは、
歴史ファンに届いたのではないでしょうか。
 
 
本能寺のあと
光秀の目指した場所は坂本でした。
 
光秀が比叡山攻略後、
琵琶湖のほとりに築城したのが坂本城です。
 
門前町、港町、交通の要として
重要な町であった坂本は
商業都市として発展していきました。
 
日本海側で採れた米、海産物などは
琵琶湖の上部にある2つの港を経由して
坂本港へ到着。
 
そこから陸路で京都へ運ばれていました。
 
中世の時代、坂本の港を支配していたのは
比叡山でした。
 
光秀は坂本城を築くことで坂本を掌握し、
信長の天下統一事業を支えたのです。
 
 
坂本城築城からほどなくして
安土城が建設されます。
 
信長は光秀を城へ呼ぶ際、安土城から
白煙をあげたと言われています。
 
白煙の合図で光秀はすぐ舟にのり、
琵琶湖を渡って安土城へ参上したのです。
 
琵琶湖を挟んでお互いの城が見える、
二人の信頼と絆の深さが感じられてなりません。
 
光秀は決して単純な謀反人などではない。
 
ドラマの影響ではなく(?)
歴史の本質とはさまざまな角度から
眺めてみなければ決して理解することは
できないのだと改めて感じました。
 
 
光秀が未来を想い眺めていたであろう
琵琶湖畔は現在「坂本城址公園」として
大津市民の憩いの場となっています。
 
城の面影はなく、
緑まぶしい心地よい広場です。
 
遺跡はないけれど、
確かにそこに光秀の城はあったのです。
 
光秀が心血を注いで建てたであろう
坂本城を感じるものが
坂本の町にはあふれています。
 
「石垣」。
 
自然石をそのまま利用して形を
うまく合わせ築かれた石垣は
風雨や地震などの災害にも強く、
その多くがいまも坂本の街並みを
情緒豊かに彩っています。
 
武将たちが作り上げた石垣に
ロマンを感じる坂本の町散策はおすすめです。
 
今も続く伝承技術である石垣を
じっくり眺めてみてください。
 
余談ですが、この石垣は世界でも美しさと
強さを認められ、アメリカ大企業の
エントランスになっていたりするのです。
 
VIVA!近江の石垣!なのです!
 
 
光秀の治めた領地では
光秀人気は現在に至るまで続いています。
 
領地を愛した光秀だからこそ、
領地の特産品を広めていきたいと
願っていたに違いありません。
 
坂本散策のあとはぜひ、
光秀が誇っていたであろう「鮒寿司」を
召し上がっていただきたい。
 
名将!光秀に献杯するとともに。
                     by増茂 紀子

2021-02-16 20:20:36

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