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井上兄弟がこれからの夢を語るブログ

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井上兄弟がこれからの夢を語るブログ  その⑤家業について

アメブロにて連載中の「井上兄弟がこれからの夢を語るブログ」より、
兄・貫太が思う「家業について」。物心ついたころから、
ふなずしと向き合ってきて、その思いの変遷をお届けします。
下のタイトルよりアメブロに飛べますので、もしよければポチください!


家業について

 


私の家業は「ふなずし」の製造販売です。

ふなずしとは、ふなをご飯で発酵させた古くから伝わる滋賀の伝統食です。
お米と同時に「熟鮓(なれずし)」の文化が大陸から伝わり、そこから、「ふなずし」が始まったとされています。

平安時代の書物には、すでに「鮒寿司」の記述もあり
計り知れないくらいの歴史があります。

幼少期は、こうした歴史も知らず、自分の親は
生きたふなをさばき、重たい石を持ち、冷たい水を使って
おまけに、少し臭ってくる物を作っている……としか思えませんでした。

しかし、父が亡くなり、母と祖母がフナをつけているのを見て、力仕事であったため手伝うようになりました。

自分も一緒にふなずしを漬けるようになって、
いろんな思いが芽生えてきました。
そのうちに、幼少期に思っていたことが

「恥ずかしいことだった」と気づいたのです。


家業として「ふなずし」を作り販売することで
自分たちは学校へ行き、好きな服を着て、
好きなサッカーや剣道、友達と遊ぶ事が出来ていたのかとわかりました。


その後、家業に入り、5年が経ちます。
今では、この思入れのある「ふなずし」を
微力ながら、次の世代にも継承していきたいと考えるようになりました。

フナの不漁によりふなずしの価格が高騰したり、
漬けるための手間ひまがかかるため、近年では家庭で漬ける人も減ったりしています。

また、特有の臭いや味は好みが分かれます。
食べる機会も、食べる人も減ってきているかもしれません。
しかし、だからこそ、この古き良き伝統を守りたい。

そして、次世代にどうつないでいけるかが課題です。



これからは、自分自身がこの課題を背負って「ふなずし」と向き合っていきたい。


ゆくゆくは、
ふなずしをもっと身近に感じてもらえるような事業がしたい!
そういった思いで、今後も家業に励みたいと考えています。



#家業 #発酵 #フナ #歴史

2020-11-24 21:03:18

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井上兄弟がこれからの夢を語るブログ   その④井上兄弟の「母」について

 兄・貫太 「母について」 

母について。兄が語ります 



母の偉大さは、大人になって気づくんですね

今では、母でありながら、社長という立場で
仲がいいのか悪いのか。
どこか、甘えがあるのかなーとは思いながら。

共通の知り合いの方と会うといつも、「いいお母さんだよね」と言って頂けます。
「そんなことないですよ〜」と言いながらも、もちろん内心は、そう言ってもらえて嬉しい気持ちでいます。

母は、本当に人付き合いに長けています。
はっきり言いたい事は言う、けれども、どこかそれはその人に対しての愛であり決して自分勝手なことを言っていない。そして、超が100個付く程の真面目な方です。
そんな母だからこそ、沢山の方々が母を慕ってくださるのだなと思っています。

父もそうでしたが、皆から慕われる
母も、同じなんです。

そんな両親がいて、このブログを通して本当に恵まれているなと改めて思わされています。

母は、自分が幼少期にできなかった事が沢山あり
子供たちにはその思いをさせたくないと、やりたいと思った事はなんでもやらせてくれました、そして食べたいもの飲みたいもの何不自由なく育ててくれました。これは、父が亡くなってからも変わりませんでした。

自分に子供ができたとき、果たして同じことができるだろうか。そう思うことがあります。
が、僕だってしてもらった事は返したい!それは
母もそうですが、自分の子供が出来たらしてあげたいと思います。それが、恩返しと思うからです。

早く、ゆっくりさせてあげたいと言うのが本音ですが
皆さんご存知の通り、止まるとダメな性格な方ですから、人生を終えるまで突き進まれると思います。
これからは、自分のしたい事をしたい時に、好きなようにできるように、兄弟で力合わせて会社を盛り立て更に発展させていきたいと強く思います。






#母の偉大さ #いいお母さん #人付き合い #嬉しい気持ち #恩返し #兄弟 #社長




 

 弟・水晴 「母について」 

母について。


小さい頃に思ってたのが
ただ!ただ!この世で一番怖い人でした。

父が小学生の時に亡くなってから
父親の代わりとしても接してくれて
悪いことしたら、ボコボコにされて、それも父親の代わりとしてしてくれた事だと思います。

一番苦労をかけたと思います!

母が、父親の代わりとして頑張ってくれたおかげもあり、父親がいなくて、寂しいとか、思ったことがありませんでした。

今になって、そーいうことやったんやと思います。

今まで、うるさいなとか!思ってたことが
社会に出て、身についてて、良かったと思いますし、有難いと思いました。

正直、社会に出て、色々な場面で
母がいつも言ってた事は、こういう事やなと、感じることが多くありました。
そんな面もあり、母に今は本当に感謝でしかないと思ってます。

今後は、兄と2人で力合わせて、母親には自分の時間、やりたい事、今後の人生を楽しんでもらえるようにしたいと思ってます。


#母親 #小学生の時 #怖い人 #本当に感謝 #今後の人生

2020-10-13 21:35:00

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井上兄弟がこれからの夢を語るブログ  その③井上兄弟の「父」について  

アメブロにて連載中の「井上兄弟がこれからの夢を語るブログ」より、
兄弟それぞれの「お父さんの思い出」をお届けします。
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長男 貫太「亡き父の思い出」

 

私の父は、

小学校3年生の時に突然亡くなりました。

 

死目に立ち会うことなく、知らない間に命がありませんでした。
 
記憶にあるのは、弟とサッカーをするとき
必ずアサヒの缶ビールを手に持ち見守るだけ。笑
 
あとは、夜21時には就寝し、朝3時に起きて作業をする姿でした。
 
そんな中、特に記憶するのが
ふなずしを漬けているところ、そして美味しい鰻の蒲焼を焼く姿でした。
 
子供の頃の記憶は
本当に寂しいほど忘れてしまいますが
 
お父さんの同級生の方々や
一緒に仕事をされていた方々から聞くと
 
ホタルの再生に尽力し、
いつも時代の先を行く先駆者のように、
また歩く辞書と言われる位の知識を持っていた。
 
そして、優しさを忘れず、
本当に良い人だったんだなという事を伝えてくださります。
 
周りの人たち達は、
いつも僕たち家族の事を気にかけてくださり声をかけてくださります。
 
それは、父が生前みなさんに行っていた行動が
僕たちに返ってきているのかなと思うと、感謝しかありません。
 
父は、どんな人だったんだろう。どんな思いを持って生きていたんだろう。
 
これは聞くことができませんが
ただ、僕はそんな父の知らない背中に憧れて
地域の事など積極的に取り組むことが出来ているのかなと思います。
 
追いつけ追い越せではないのですが
少しでも父に追いつき、そして父より人望を持ち
それを、自分の子供にも伝えられたらいいなー
なんて、思いを持っています。
 
写真は亡くなった父と、僕の小さい頃です。笑
父は若い頃から、少なかったとの事です。笑

 
#サッカー #子供の頃の記憶 #父 #缶ビール #ホタル #鰻の蒲焼





 

弟 水晴「亡き父を思う」

 


僕の父親の記憶といえば、
小学校1年生の時に亡くなったので、ほとんど記憶がありません。
 
あるといえば、
公園でサッカーを教えてもらったり
うなぎを焼いていたりする姿。
 
そして、
船に乗せてもらって
琵琶湖でシジミかきにいったことぐらいです!
 
ほかの人達とは、
全然違う環境で育ってきたと思っています。
 
二十歳ぐらいまでは、
どんな父親やったんやろうとか考えたこともなかったですし、
 
今になって、
「こんな時は、父はどう言うんやろう」とか、すごく考えます。
 
今まで色々な周りの方にすごく助けてもらい
僕たち、家族は生きてこられました。
 
それは父が今までに、色々な方々に、
しっかりとした行動をとってくれてたからこそ、
僕たちに返ってきてるんだと思います。
 
僕も同じように、
父のようにやりたいし、やれるように頑張ろうと思います。
 
そして、
父の思い出のある鰻や鮒寿司を残していきたいなと思ってます。
 

 
#琵琶湖 #うなぎ #小学校1年生 #父の思い出

2020-09-29 21:30:00

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井上兄弟がこれからの夢を語るブログ  その②次男・水晴の自己紹介

弟 水晴の自己紹介

 

はじめまして
井上水晴(みはる)
平成7年4月8日生まれ25歳です
 
小学校から、高校生まで大好きなサッカーにあけくれ、
小学生のときは全国大会まで出場し、良い経験になりました。
 
サッカーも父親の影響なのですが、
高校生のときに次の進路を考えてたときに、
 
小さい頃に父が食べさせてくれた鰻を、
昔のように実家で鰻屋をしたいなと漠然と思い、
高校の担任や親に、うなぎの修行にいきたいと伝えました。

しかし、さすがにうなぎだけでは…と、
「料理もしたことないのに、大丈夫か」と。
 
「調理の専門学校に行って
今後の進路を考えて見たらは?」と言う意見をいただき
一年間だけ専門学校に通わせていただきました。
 
 
京都にある老舗料亭 菊乃井さんの
会社説明会に参加させてもらったときに、
 
菊乃井の大将のお話を聞いて、
「ここはやばいな(笑)」と
 
言葉にはできないぐらいの感銘を受け、
ここしか無いと思って、入社を決めました。
 
三ツ星のお店なので、
ガチガチに厳しいのではないかと思っていたのですが、
大将はじめみなさんフレンドリーで良い人ばかりでした。
 
1年目はまかないや、追い回しの毎日で、
悔しいことも沢山ありました。
 
できひん事に悩み、相談し、
諭していただける上司や、先輩に囲まれて
 
家族にも休みの日は迎えにきてもらったりして、
まわりに、すごい支えてもらったおかけで、
修行期間を終えられたと、心の底からそう思います。
 
全てが一流の環境にいさせていただいたので、
一つ一つの考え方や、見据えるところや、目につく事など、
小さいことから、多くを学ぶ事が出来ました。
 
飲食店をどんな形でするにも、
絶対に大事なことを身につけ、また知る事ができたと思います。
 
今は菊乃井を離れて、
うなぎの修行として、やらさせてもらってます。
 
海の魚とこんなに違うもんなのかと思うぐらい、
すごく難しいですが、とても、奥が深く、
 
毎日鰻のことを考えている生活を送らさせてもらってます。
 

 
#うなぎ #サッカー #菊乃井 #修行 #料理 #飲食店 #京都 #鰻

2020-09-15 09:45:00

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井上兄弟がこれからの夢を語るブログ  その①長男・貫太の自己紹介

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今回はその中から

長男・貫太の自己紹介① をお届けします。

 

兄弟の自己紹介をさせていただきます。
 
まず、長男から
 
井上貫太
平成5年10月27日生まれ26歳
有限会社至誠庵 取締役⇦実家の家業です。
 
実家は、大津市石山寺の参道にて
「ふなずし」や琵琶湖で獲れた湖魚を佃煮にして
 
すべて自家製・無添加にこだわり
製造販売している会社です。
 
 
また、石山寺名物「志じみめし」を提供する
志じみ釜めし「湖舟」も営業しております。
 
 
小学校、中学校で剣道を
小学校、中学校、高校ではサッカーに取り組みました。
 
亡くなった父が生徒会長をしていたと言うのを聞き
そんな父に憧れて、
小学校、中学校、高校では生徒会長をしていました。笑
 
将来は、
至誠庵(現在は湖舟も含まれます)を引き継ぎながら
地域が誇れるような飲食店を新たに立ち上げたいという思いから
 
大学では、経営学部事業承継コースを専攻。
 
アルバイトで飲食店を2店舗ほど掛け持ちしながら、
高校時代お世話になったサッカー部のコーチスタッフとしてチームをサポートし、
リーダーシップやマネジメントの勉強させていただきました。
 
大学4年生の時に
湖舟を引き継ぐ話となり、
現在、湖舟の取締役として5年目となります。
 
家族はもちろん
地域の方や、先輩事業者や同年代仲間に支えられ、
学びの多い毎日を送っています。

#マネジメント#経営学部#石山寺#大津市#琵琶湖#事業承継#サッカー#剣道

2020-09-01 09:39:45

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