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鮒寿司 通信

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鮒寿司 通信 No.4

2020年話題の地域といえば、
ここ近江の国、滋賀県。
 
『滋賀県といえば何を思い浮かべますか?』と
質問すればほぼ間違いなく
「琵琶湖」と返答が来ます。
 
日本一大きな湖「琵琶湖」を有する滋賀県には
日本で唯一と言われる島がぽっかり浮かんでいます。
 
その名は「沖島」。
 
何が唯一なのか?
淡水湖に浮かぶ有人島として唯一なのです。
 
ほかの地域にも淡水湖に浮かぶ有人島はあるのですが、
どの島も架橋されていて本州とつながっています。
 
ただひとつぽっかりと浮かんでいる島は
「沖島」だけなのです。
 
この沖島、歴史好きには大変興味深い島。
 
この島にある姓はほぼ7つ。
 
伝えによると、保元の乱(1156年)、
平治の乱(1159年)の頃、源氏の落人が
ここへたどり着き住み着いたのが始まりだとか。
 
現在の沖島の人口は約400人。
 
島民のみなさんの祖先は源氏へとつながって
いるなんて沖島は歴史ロマンの宝庫です!
 
 
孤島である沖島では、昔から島民同士で
助け合い、支えあい、知恵と工夫で
孤島ならではの困難をのりきってきたといいます。
 
その知恵と工夫のひとつが今も沖島名物と
なっている「鮒寿司」です。
 
保存食としても優秀で、栄養素満点の「鮒寿司」が
沖島の人たちの健康を守る一役を担っていました。
 
ここ沖島では今でも各家庭ごとの
「鮒寿司」が作られているとか。
 
移動手段が船だけというこの島で、源氏のロマンに
ふれ、沖島の風を感じながら食べる「鮒寿司」は
きっと一味違うはず。
 
 
「鮒寿司」は、海を持たない滋賀の人々の
知恵と工夫の傑作です。
 
無いものを嘆くのではなく、
有るものを持って工夫する。
 
人々が支えあい協力しあったときに
すぐれたものは出来上がります。
 
今改めて助け合うことの大切さを
「鮒寿司」の歴史が教えてくれている気がします。
 

by増茂 紀子   

2020-05-19 11:42:51

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鮒寿司 通信 No.3

今から9年前の2011年、
新作狂言「鮒ずしの憂うつ」という作品が
日野公演でお披露目されました。
 
再演がすぐ決まるほどの大人気作品。
 
2013年には続編もできました。
 
ご覧になられた方もおられることと思いますが、
まだ見ていない!という方のために
さらっとだけあらすじをご紹介。
 
 
テーマは「近江の国」。
 
同じ滋賀県名物なのに、『近江牛』から
いつもばかにされている『鮒ずし』。
 
なぜこんなに嫌われてしまう臭いを放って
しまうのかと思い悩み、同じ悩みを抱える
『ひきわり納豆』や『くさやの干物』とともに、
『近江牛』を負かすための作戦を練るが・・・
といったストーリー。
 
 
抱腹絶倒間違いなしのとても楽しい公演。
 
2020年の今年も上演される予定でしたが、
世界規模の災難のため、止む無く中止となりました。
 
 
不要不急の外出は控えようとの外出自粛に
ともない、街はひっそりしています。
 
けれど、たとえ外にでなくても、
私たちは日々「食べること」を
やめるわけにはいきません。
 
「食べること」は命を育むこと。
 
こんなときだからこそ、身体作りが
何より大切ではないかと思うのです。
 
発酵食品である鮒寿司は「滋養強壮」に
すぐれた食品であることは周知のとおり。
 
毎日!とはいかないまでも、週に一度でも
「鮒寿司の日」をもうけ、ご自宅でゆっくり、
お好きなお酒と一緒に楽しむのもおすすめです。
 
「身体のケア」と「美味しさ」を同時に
味わって「憂うつな時」を乗り切りましょう!!
 
「憂うつな時」を乗り越え、今度は新作狂言
「鮒ずしの憂うつ」で思いっきり笑って、
そのあとは琵琶湖を眺めながら「鮒寿司」を食べたい。
 
それまでは、身体のケアを一番に。
 
みんなで笑いあうために、
今は笑う準備をしっかり整えておきたい、
そう思うのです。
 
    by増茂紀子    
 

2020-05-05 13:05:14

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鮒寿司 通信 No.2


 琵琶湖畔の桜並木が美しい季節。琵琶湖ではニコロブナの漁が最盛期を迎えます。
昔々から変わらぬ風景。海を持たぬ近江の人々にとって魚のたんぱく源は貴重でした。
長期保存を目的として考え出された「ふな寿司」は保存だけでなく、栄養素にも恵まれる
という恩恵を人々に与えてくれました。


 この美しい季節、近江の人々の「食」を支えてくれた「ふな寿司」に古来の想いを馳せ
執り行われる祭りがあります。
 毎年、5月5日に守山市幸津川町で開催される「すし切り祭」。
 若者が古式に従い、まな板にのった「ふな寿司」を「ふな寿司」に手をふれずに切り
分けるといった伝統儀式です。切り分けるのは3尾。
 1尾目は神饌として。2尾目は神職へ、3尾目は神輿番へふるまわれます。


 日本書紀によると、崇神天皇の子である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は東国を
治めるために旅にでます。その途中、この地に立ち寄り休憩をなされていた際、村人が
「ふな寿司」を献上しました。 豊城入彦命は大変喜ばれたといいます。そのときから始
まったとされるのがこの「すし切り祭」です。
 昔は女人禁制の厳格なお祭りだったそうですが、時代に合わせ今では女子の参加も
認められ、地元の人々の大切なお祭りとして受け継がれています。
 「伝統を守りつつも時代や生活スタイルに合わせ変化すべきところはする」といった柔
軟さが、ひとつのことを継続していくために大切なことなのだと思います。


 ふな寿司を召し上がったあと、琵琶湖を丸太で作った筏で渡り、湖賊も退治されたという
豊城入彦命は、現在滋賀県守山市「下新川神社」の御祭神として、また水を司る神様として
お祀りされています。
 神様にも愛された「ふな寿司」を食べ、体中に力をみなぎらせてもらいたい。
 そして、現在のさまざまな困難をのりきっていきたいと願うばかりです。

by増茂紀子   

2020-04-21 13:00:25

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鮒寿司 通信 No.1


 「延喜式」とは平安初期以来、宮中における
年中行事や制度などを集大成した事務規定である。

むつかしく書いてありますが、少々乱暴に解釈すると、
宮中の規律・規範をまとめて書かれたもの。

 醍醐天皇の時代に編纂されたということなので、
718年ごろ。その「延喜式」にでてくるのです。

「鮒寿司」という文字が。

 平安時代には醍醐天皇のような高貴な身分の者が、
しかも特別な行事のときだけ食べていた「鮒寿司」。

古来より栄養素の高い食品として珍重されていました。



 さて、この「鮒寿司」にまつわる有名人といえば、
今注目の明智光秀。

織田信長が安土城に徳川家康を招く際の
接待役・饗応役として選ばれたのが光秀。

光秀は家康一行安土到着の5/15から5/17までの
3日間、食事のもてなしをするよう命じられていました。

生真面目な光秀は誠心誠意込めて
もてなしのための献立選びをしたようで、
約60品が記された「天正10年安土御献立」として
いまもその記録が残っています。

「鮒寿司」が供されたのは記録によると家康到着の日。
到着したすぐの昼のメニューに載っています。
旅を終えた家康一向にまずは疲れを癒してもらおうと
精の付く食材を多く使っているように思えます。



  「鮒寿司」は当時から食べると力が沸く食材として
近江では貴重な一品でした。

しかし、光秀は最終日5/17の接待役をおろされてしまいます。

光秀のおもてなしの想いが信長の望んだことと
違ったのか・・真偽のほどはわかりません。

ただ、光秀は「鮒寿司」を近江を代表する料理で
あると自信を持っていたと思うのです。

古来より大事な時に出す料理だと知っていたのだと思います。

だからこそ、家康到着の一番最初に出すメニューに
選んだのではないかと。



光秀が愛した「鮒寿司」は長い時を経て
現代にまで脈々と受け継がれています。

近江を訪れた武将達も食したであろう「鮒寿司」。

戦国絵巻を感じながら召し上がっていただくのも
また、オツなものです。
     
  by増茂紀子   

2020-04-07 12:37:11

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